テレビ中継で見る国会の安保法案審議の様子は,リング中央で防御姿勢をとる与党選手を 野党選手が攻撃し,抑え込むか逃げ切れるかを争う格闘技のようだ. 法案に対する賛否の本音は,観客席から聞こえてくる. △ 戦前へ回帰させようとする戦争法案である △ 法案が通ると徴兵制が復活する ▼ 法的安定性は関係ない ▼ 戦争に行きたくないは,利己的個人主義だ マスメディアは,△については「多数の国民の声」,▼については「容認できない発言」 という方向で報道している. そこには,「戦前,徴兵制」は悪,「憲法保守,戦争反対」は善といった暗黙の"空気"が 存在する.この"空気"は明文化されてはいないが強固なもので,それへの侵犯は問答無用 で激しく非難され,主張の中味についての冷静な議論を難しくする. ある種の空気の存在とそれへの否定的言及のタブー視は言霊(ことだま)思想とも関係す る.例えば,「『法的安定性は関係ない』と言った」ことを攻める場合,『法的安定性は 関係ない』という文の(前提,文脈や省略文言を補った上での)妥当性を吟味するよりも, 「『容認できないこと』を言った」という口外行為を咎めることに終始する. オーラルな日本語は,"空気"を共有する同質な人々の中では極めて伝達効率が高いが,異 質な敵意と相対する場合には危ういこともある. 西洋系言語の場合には,話し手と聞き手の他に,(潜在的に)神様がいる所為か,場の空 気に依らない真実性の確保にも注意が向いているように感じる.